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小笠原父島へ
10月小笠原に仕事で駐在している次男より父島へ来ないかと連絡が入る。12/2と12/7の船の予約を取ってもらい少しずつ計画/準備を進める。おがさわら丸に乗船したら滞在中は戻ることができず、郵便も新聞も不在届けをし、PCR検査もクリアーし無事に出かけることができました。
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レインボーブリッジを抜けて
前日は東京のホテルに一泊。翌朝、東京駅経由で新橋よりゆりかもめに乗り竹芝駅へ。次男と合流し乗船手続きを終え11時出港。都心の高層ビル群・スカイツリー・東京タワーなどを後にレインボーブリッジを抜け東京湾から太平洋へ。
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聟島列島とアホウドリ
小笠原諸島に近づいた頃、船上でガイドによる洋上案内がある。東方に奇岩が並ぶ聟島列島、船の近くを大きな鳥が飛び始める。世界に100万羽もいたアホウドリ、絶滅したと言われるが、聟島と鳥島には4500羽程度が確認。優雅に飛んで楽しませてくれました。
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大村海岸
12/3の11時父島二見港に到着。看板を手にしたホテルや民宿の出迎えを受ける。気温25℃前後、最低でも20℃と亜熱帯の気候、ほとんどの人が半袖姿。大村海岸では砂浜で水遊びをする子どもを見かける。海岸の像「船出」は小笠原諸島返還20周年記念モニュメント。イソヒヨドリが止まっていた。
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旭山と小笠原高校
次男の案内で高台にある大神山神社へ行き、そこからは家内と二見港が一望できる展望コースを歩く。山頂展望台からはトラバース状の道。本土では見かけない南国の植生らしい花や木々を楽しむ。東方に旭山267mや小笠原高校などが眺められた。
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世界自然遺産を守る取り組み
19世紀初期に家畜として放牧されたヤギが交雑しながら繁殖し野生化して植生を脅かすように。旭山へ登る途中所々に生息するノヤギを目にする。ノヤギやノネコの防除柵や檻を設置して東洋のガラパゴス小笠原諸島を守る取り組みが続けられている。
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外来種グリーンアノール
1960年代に持ち込まれた外来トカゲ。駆除が進められているが中々大変。オガサワラシジミやオガサワラトンボなどが補食され絶滅の危機にさらされている。滞在中にも見かける。
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旭山山頂より
山頂からは二見湾が一望、停泊中おがさわら丸も。週に一度のおがさわら丸は、観光客を連れてくると同時に、島の生活物資を届けてくれる大切な存在。到着した日は、商店には住民が集中する。
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シャリンバイの花
旭山への登山道で見かけた常緑低木。枝の分岐する様子が車輪のスポークのようで花が梅に似ていることから名づけられた。
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タコノキ
よく見かけるのが気根が支柱ように幹を取り巻きタコのように伸びた木。タコノキと呼ばれる小笠原諸島の固有種。パイナップル状の集合実を付ける。ナイトツアーではオガサワラオオコウモリがタコノキの実に集まっているのを見かける。
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旧日本軍通信所跡
初寝浦展望台の駐車場で偶然出会った「戦跡ガイド板長」の田中さんに、一緒に戦跡を案内してもらい小笠原や硫黄島の戦いについて話も聞く。アメリカ軍は小笠原上陸を途中で諦め計画を早め沖縄上陸戦へ向かったと聞く。
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アサギマダラ
初寝浦展望台近くの森の中で見かけたアサギマダラ、本土でも時々見かける。暑さも寒さも苦手で季節に合わせて長距離(1000㎞以上)も移動すると言われる。か弱く見える小さな体、どのように海を移動しているのか不思議です。
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サンクチュアリー
国の天然記念物で絶滅危惧種アカガシラバトの生息環境を守る目的で設定された場所(鳥獣保護区)があった。許可を受けたガイド等の同行がないと立ち入ることができません。
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オガサワラトカゲ
サンクチュアリの入り口で見かけたオガサワラトカゲ。ノネコやネズミの補食などによって数が激減している、準絶滅危惧種。滞在中、二ヶ所で見かけることができた。
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イソヒヨドリ/扇浦
扇浦海岸の見える公園で昼食の弁当を食べていたら、すぐ側へ寄ってきて食べ物を欲しそうな素振りで待っていた。体全体が灰褐色なのでメス。オスは青藍色でもう少し明るい色をしているようです。
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ウェザーステーションの夕陽
父島屈指の夕陽の名所、ウェザーステーション。1月から2月頃には、ここからザトウクジラのブロー(潮吹き)や様々なアクションが見られることも。今年は11/26にこの沖合にシーズン初のクジラ目撃が記録。洋上に沈む夕陽、本当に奇麗でした。
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小港海岸から扇浦へ
小笠原村営バス(一日券500円)を乗り継ぎながら海岸線を歩いてみる。1時間に1本の小型バスはとても便利で、乗るバス停は決まってますが、降りる場所は運転手さんに頼めば、バス停以外でも降ろしてもらえます。
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小港海岸入り口
世界自然遺産の動植物を守る取り組みが様々な所にある。ジョンビーチと小港海岸への入り口には上記のような看板と利用者のカウント箱がある。目指す所の缶に小石を入れるというアイディアが面白い。
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亜熱帯の植生/散策路
小港海岸までの散策路は亜熱帯地方のジャングルの入り口のようだった。ここを抜けると美しい海岸が見えてくる。
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小港海岸の美しい砂浜
広い砂浜は海水浴をしたくなるほど澄んだブルーで波穏やかなビーチでした。浜の両脇には海底火山の噴火時の溶岩が固まってできた枕状溶岩が見られました。
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コペペ海岸
海岸沿いを登ったり下ったりをくり返すこと30分くらいでコペペ海岸に着いた。少しだけ難所にあるため訪れる人も少ないようで静かな砂浜でした。
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扇浦海岸
小港海岸から扇浦海岸までを1時間ほどでなんとか歩ききることができた。海岸の見える公園で昼食を食べているとヨットが優雅に浮かんでいる。近くの小笠原神社をお参りして、バスで次の境浦海岸に向かった。
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境浦海岸/濱江丸
太平洋戦争中に貨物船「濱江丸」はサイパン島洋上で爆撃を受け航行不能に。応急処置で航行中再び父島近海で魚雷に遭って漂流し境浦で座礁。そのまま戦跡として残され、今は沢山の魚が集まる場所になっている。
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小笠原海洋センター
アオウミガメの保護飼育施設で、成長に合わせた沢山の水槽の中で元気に泳ぎ廻る亀がいっぱい。小笠原は国内で唯一亀猟が許されていて、古くから食用もされている。
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大きく成長したアオウミガメ
体長1mくらいのアオウミガメも沢山飼育されている。人懐っこくて手を出すとすぐに近寄ってきた。
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あめのひ食堂
次男お勧めの食堂で食事を一緒に食べる。亀料理も刺身も穴子の天ぷらも美味しかった。店名「あめのひ食堂」は宮沢賢治の「アメニモマケズ」の詩から名づけられたそうだ。主人のお父さんは、戦跡ガイド板長の田中さんだと後で知る。
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父島との別れ
二日目ナイトツアーに参加。ガイド「マルベリー」の案内で、タコノキに集まるオガサワラオオコウモリや、宮之浜で活動するオカヤドカリやカニ、夜光茸のグリーンぺぺ、二見港に現れるサメとエイを見ることができた。あっという間の滞在でしたが貴重な体験ばかり。
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父島との別れ
三泊四日の滞在を終え、12/6の15時おがさわら丸は沢山の人達に見送られて出航。驚いたのは、おがさわら丸の横を沢山の船が追いかけてきて、名残を惜しむようにいつまでも手を振ってくれたこと。中には甲板から海へ飛び込む人までいた。
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父島との別れ
父島ではホテル「サンシャイン小笠原」に三泊。夕食も朝食もマスターの心のこもった料理が続き、心地よく過ごすことができました。一緒に宿泊した人達とも滞在中の交流ができました。再訪することはないかと思いますが、また来るなら同じホテルにしたい。
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帰路の船から見た夕陽
行きは二等和室で他の客と一緒。帰りは一等室の部屋で、テレビもベッドもあり窓からは海が眺められるが、船室の階が高い分、揺れは大きくなる。揺られながら、かつて戦地へ船で向かった兵士達の気持ちを少しだけ想像してみる。
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戦没者慰霊碑/小笠原ビジターセンター
太平洋戦争戦没者は小笠原1万5200人、硫黄島2万人、沖縄8万9400人、太平洋諸島19万7600人、フィリピン49万8600人、中国45万5700人…総数212万1000人。船旅の中で戦地へ向かった兵士の事を想像し二度と戦争がくり返されないよう祈る。
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旅の終わり~東京湾へ
温暖な小笠原から東京へ戻ると気温は10℃前後の冬の寒さになっていた。下船が近づいたところで、冬服に着替える。降りてからも余韻は残ったまま、船に乗っているような錯覚が身体にも心にもしばらく続いていた。
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令和5年元旦初日の出
次男から元旦の初日が届きました。ウクライナの戦争も新型コロナ感染も終息し、みんなが安心して暮らせる年に向かっていきますように!
小笠原の旅
東京から約1000㎞離れた世界自然遺産「小笠原諸島」の父島へ行ってきました。交通手段は定期便『おがさわら丸』だけ、東京竹芝より船中一泊24時間の船旅。全長150m/1万1035㌧/乗客定員894名の船体は、大型クルーズとは違い外洋に出ると波の影響を受け船酔いをしてしまいます。酔い止めが必需。父島滞在3泊、船中2泊合わせて5泊6日の小笠原の旅を紹介します。
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